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京都地方裁判所 昭和48年(ワ)1010号 判決 1975年8月05日

原告

甲野太郎

甲野花子

右両名訴訟代理人

甲山一夫

被告

社会福祉法人乙会

右代表者理事

乙野光子

右訴訟代理人

乙川治郎

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

(請求の趣旨と答弁)

一、原告

被告は原告らに対し金二〇〇万円づつ及びこれに対する昭和(以下に於て略す)四八年二月三日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決、仮執行の宣言。

二、被告

主文同旨

(請求の原因)

一、原告両名は四八年二月二日に死亡した甲野一郎の父母で、その相続人であり、被告はS乳児保育園を設置経営して乳児保育事業を行つているものである。

二、一郎は四八年二月二日一六時三〇分頃右保育園二階ベッド上で伏臥中、吐物を出して窒息死した。

三、原被告間には四七年一一月末に成立した、被告が当時一才の一郎を七時三〇分から一七時迄預つて監護保育をなしこれに対し原告らが月額八〇〇〇円の保育料を支払うという委任契約があるから、被告は心身ともに未熟な乳児を保育するに当つては乳児の健康に格別の注意を払い、事故の発生を未然に防止すべき重大な注意義務を負つていた。

四、しかるに被告の履行補助者たる保母は、原告らが当時一郎が胃腸が弱く通院中であつたので多食させないよう特に手配を依頼していたに拘らずこれを無視又は看過して多食させたため一郎に吐物をはかせ、かつ保母は一郎をベッドに伏臥させたまゝ放置して炊事や雑事をしていたため、一郎の伏臥、嘔吐に気づかず、原告花子が引取りのため来園してはじめてこれに気づいたが、なを応急措置もとり得ず死亡させたものであり、そこに重大な過失があるから被告は債務不履行として本件事故による損害賠償責任がある。

五、一郎は原告らの一人息子であり、この最愛の息子を失つた原告らの悲しみは言葉で尽せるものでない。この原告らの精神的苦痛を慰藉するに足る金員は金二〇〇万円づつを下らないので、被告にその金員とこれに対する請求の趣旨どおりの遅延損害金を求める。

(被告の答弁と主張)

一、原告の請求原因一と二は認める、但し一郎が死亡したのは病院に運ばれた後である。同三の委任契約の成立は認めるが保育料の額と注意義務の内容を争う。同四は否認、同五は不知。

二、被告は京都市の指定と厚生大臣の認可を受けた社会福祉法人であるところ、被告が一郎の保育を始めたのは四七年一一月二七日、F福祉事務所長から児童福祉法二四条による保育委託を受けたためであり、同年一二月七日の同所長の被告に対する児童福祉委託通知書により保育費月額三一〇〇円、期間四七年一一月二七日から四八年三月三一日までとして委託を受けたのである。被告は児童福祉法上の措置として健康児でないと保育に適さないのでその旨を確めたところ原告らはもとより右福祉事務所も健康児であると回答してきたので四七年一一月二七日原告ら連名の誓約書を徴し、保育児の生活環境等の資料を得るため児童票を作成させた。原告らはこの児童票に次のように記載している。

今迄にかゝつた病気 四七年四月ポリオ

かゝり易い病気 風邪、下痢

食事 七時牛乳二〇〇cc、一〇時おやつ(ホットケーキ、みかん、ビスケット等)、一二時ご飯(海苔、卵)一四時三〇分おやつ、一八時ご飯(肉、魚、ほうれん草、みそ汁等)二〇時三〇分ミルク一〇〇cc

尚登園時間は七時三〇分、帰宅時間は一七時保育児の送迎は父母が行うことを約した。

三、被告は、この委託を受けたので保育に細心の注意を払い、四七年一二月一日大日方医院で健康診断を受けさせたが「現在健康と認める」との診断があつた。爾来被告は保育日誌で一郎の保育記録をつけてきたが入園以来何らの異常はなく、僅かに湿疹の発症を見たのみでよく食べよく遊び普通の保育児と変りはなかつた。

四、事故当日七時四〇分原告花子が一郎を連れて登園し平常と変りなく保母Nに、何かあつたら連絡して下さいと依頼して降園して行つたのであつて原告ら主張のように、当時一郎は胃腸が弱く通院中であつたので多食させないように特に手配を依頼した事実は全くない。

五、右当日の保育給食、事故発生時の状況は次のとおりである。

(1)  一〇時 離乳食のスープ二杯(約八〇瓦)

(2)  一〇時三〇〇分 ミルク一五〇cc

(3)  一〇時三五分から約一時間昼寝

(4)  一三時 果汁(ミカン・リンゴ)六〇cc

(5)  一五時 サンドウイッチ(ジャム付四分の一片三枚)クリームスープ半杯

(6)  一五時三〇分 ミルク二〇〇cc

以上の献立は一二ケ月の乳児に対する食事として多食ということはない。

(7)  一六時 排便があつておむつ取替え。便は黄色の粒のある消化不良便(顆粒便)で量は普通であつた。

(8)  一六時一〇分 おむつ取替用ベッドから就寝用ベッドへ移して寝かせた。

(9)  一六時二〇分 蒲団を一郎のものに替えたが、一郎は上向きの正常な姿で就寝していた。従つて保母が一郎をベッドに伏臥させて放置した事実は絶対にない。

(10)  一六時二五分 原告花子が一郎を迎えに来園し、保母に「どうもありがとうございました、先生、今日何か変つたことはありませんでしたか、セキは出ませんでしたか」と質問したので保母は「セキはなく、食事、就寝以外はこれまでと変りなく元気に遊んでいた、今さつきねむられたところです」と応待した。花子は一郎を見ようともせず、汚れたおむつを取りに行き持帰る荷物を造つていた。

(11)  一六時二八分 降園することになつたのでN保母が一郎の寝ているベッドの側に行つたところ、一郎は伏臥して少量の吐瀉物を蒲団上に出しているのを発見したので驚き、急を告げるや母親が飛んで来てとつさに一郎の鼻腔を吸つていた。緊急連絡により園長、理事長が保育室に駈上り、園長は一郎の背をさすり、理事長は救急車の要請を指示し、理事長が一郎を抱きかゝえて表に出、原告花子とともに乗車してU病院に急行した。以上のごとく保母が一郎を放置して一郎の伏臥、嘔吐の異常に気づかなかつたのではない。

(12)  一六時三五分 U病院に着き直ちに医師の手当を受け人工呼吸をしてもらつた。

(13)一六時四五分ないし五〇分 医師は検眼診断で大丈夫といい、いろいろな措置を講じていたが遂に死亡した。被告は直ちに事故の発生をU警察署に連絡して捜査を依頼し、当日の模様につき報告書を作成して報告した。捜査は警察署から検察庁に移行して行われたが保留処分となつて現在不起訴処分となつている。

六、事故当日の保育児は九名で園長、理事長の外三名の保母が保育室に常駐して保育に当り細心の注意を払つていたのであつて、本件事故は全く意表外のことで不可抗力という外はない。被告には契約に違反した債務不履行の事実はなく予見可能性もなかつたから原告らの本訴請求は失当である。

(証拠)<略>

理由

一原告の請求原因一の事実、同二のうち一郎が死亡したこと、同三のうち四七年一一月原被告間に保育料の金額を除いては原告ら主張のような一郎の保育委任契約が成立したことは当事者間に争いがない。尚<証拠>によると一郎は原告らの長男で四六年一一月二五日生れであることが認められる。

二<証拠>によれば原告らは四七年一一月二六日F福祉事務所を通じ被告に一郎の保育を委託したもので、右福祉事務所長が被告に一郎を児童福祉法二四条により扶養義務者の負担する金額は月額三一〇〇円、期間は四七年一一月二七日から四八年三月三一日までとして保育を委託したものであること、被告はこの保育委託を受けるに当り原告らに健康児でないと預かれないことを説明し原告らより乙二号証の誓約書を徴し又乙三号証の児童票の提出を求めたが、原告らはこの児童票に被告主張のような内容を記載して提出したこと、原告らは又被告の求めで四七年一二月一日医師O方で一郎の健康診断を受けてその診断書を提出したがそれには「一郎は現在健康と認めます」とあつた。原告花子も被告に一郎は健康児であるといつて預けたことが認められる。

三<証拠>によると次のことが認められる。

(1)  被告は京都市と厚生大臣の認可を受けた私立の保育園で乳幼児の保育に当つておりその収容定員は三〇名でこれを三組にわけ一組に保母三人の割合で保育に当り、一郎は二階のさくら組(乳児)に属し保母はN、MとEの担当でNが主任の地位にあつた。健康児のみを預るのであるから看護婦はいない。

(2)  被告は保母に毎日保育日誌をつけさせ、気候、保育児の出欠、健康状況、献立、変つたこと、申送り事項を書きつけており又保護者には連絡帳を渡し被告の方からは保育児の食事や便通、身長、体重等を書いて渡し、保護者は家庭内の保育や連絡事項を書いて渡すことになつている、しかしこの連絡帳に原告らの方で連絡事項を書いて連絡したのは登園初日の「初めての団体生活か迎えに行つて帰るとすぐ寝てしまいました」とあるのみで他は被告の方で書いたものである。

(3)  被告の方の保育児に対する給食は予め調理士が作つた献立表により保母が作つて与えるもので毎日一〇時と一五時に離乳食として茶碗一杯又は一杯半に相当するご飯(時にはうどん又はパン)一〇時三〇分と一六時頃牛乳二〇〇ccづつ(時には一五〇cc)一三時頃果汁七〇又は八〇g又はヤクルト一本を与えるもので、一郎の午後の牛乳は母親の原告花子が一六時過ぎに迎えに来るので他の乳児より少し早い一五時三〇分頃に与えていた。被告の方の給食量は被告代表者が少く与えてはならないという方針をとつているが乳児の月齢により与えているもので特に多いというわけでもない。献立は同じ組の保育児には一様で保母が乳児一人一人に与えていた。乳児の健康状態によりかゆを与える場合もある。

(4)  一郎は原告の方で健康児であるといつて保育を依頼したが風邪をひき易くそれがもとで消化不良を来し下痢を起すことが多く、被告の方へ入園する三、四ケ月前国立病院で診療を受けたことがあり、入園した日の二七日とその翌日は登園したがその後は休園し一二月一日は登園したが一二月二日からはその前日被告の方へ健康であるという診断書を提出したに拘らず、下痢でO病院で診療を受け、翌月の五日まで休園した。この休園期間はその後半は年末年始で両親の休暇があつたためでもあつたが一ケ月余に及ぶものであつた。四八年一月に入ると六、八、九、一〇、一二の五日間は登園したが一一日は休園し一三日から二五日まで又休園した。この時は後に記すようにT病院で診療を受けたのであつた。従つて一郎が実際登園したのは四七年一一月二七日の入園日から死亡日の四八年二月二日までの在籍七二日間に四七年一一月二七、二八日、一二月一日、四八年一月六、八、九、一〇、一二、二五、二六、二七日、二月一、二日の合計一三日間であつた。

(5)  一郎は四八年一月一〇日T病院のY医師の診療を受けたがその診断によるとその五日前から咳とが出、胸部に普通の呼吸音とは異るあらい粗裂音があり咽喉が赤くはれていた。但し痰はなかつた。この日一郎は被告方へ登園し一六時頃ミルクのようなものを吐いた。この日から一郎は必要な投薬を受け引続き同月二九日まで右Y医師の診療を受けたがその間の状況は次のようであつた。

一月一二日 下痢があり、胸部の呼吸は粗裂で咽喉がやや赤かつた。

一月一三日 便が軟い。

一月一六日 原告花子に便の持参を命じたが持参しない。発熱があり、胸部は粗裂で風邪をひいている。

一月一八日 下痢が二回あつた。

一月一九日 依然として便を持参しない。二日分の投薬をした。

一月二二日 便が軟くて四回出ている。三日分の投薬

一月二九日 下痢が四回あり水様で、咽喉がはれており、呼吸音粗裂であつた。

右はY医師が一郎の診療経過を記載した診療録によつたものであるが呼吸があらく咽喉が赤くはれていることは当時一郎が気管支炎を患つていたことを物語り一郎の四八年一月二九日の容態はかなり強い下痢状態でありこれが治るためには少くとも一週間以上の日数を要するものであり、又こういう時は食事を減らさねばならぬ状態にあつた。

(6)  原告花子は一郎を被告の方へ登園させ始めて後連絡帳をみると被告の方で与える食事の量と回数が原告らが家庭で与えている食事量と牛乳に換算して一本半か二本分多いのでN保母に、「この子は与えればいくらでも食べる子ですから多く与えないようにしてくれ」といつたことがあり、四八年一月一〇日頃原告花子が一郎を迎えに行つた時牛乳のようなものを吐いていてびつくりしたことがある、又四八年一月二五日に一郎のおむつの便の中に大豆が混つていたのでその翌日保母のNに「前にも下痢をしてT病院でみてもらつたが今度も大豆が混つているのはどういうわけか」と尋ねたところNは「被告の方ではみそ汁用のみそを自分で作つているのでその豆が混つていたのでせう」と答えた。しかしそれ以上に原告花子が、被告方の保母に一郎の健康状態を告げ特別の依頼をしたことはない。特に四八年一月一〇日から一郎がT病院で診療を受けていた時はかなり強い下痢症状であつたからこのことを保母に告げるべきであつたがこれを告げたことはない。

(7)  一月二六日の保育日誌には一郎の身体に頑固な湿疹ができてとてもかゆいそうです、とあり二月一日の保育日誌には一郎の全身があちこちざらざらの肌であつたとある。これはこの頃一郎は前記(5)のように下痢が続き栄養不良で体調が悪かつたことを物語つている。

(8)  一郎が死亡した日は朝から雪が降り寒い日であつたがその状況は次のようであつた。

朝七時四〇分頃原告花子が一郎を連れて登園した。(しかしこの日も保母に一郎の病状等をつげ特別の依頼をした事実はない。)

当日のさくら組は、二名が休園で登園者は九名、保母はNとM、それにEが休んだため一五時四五分頃迄保母のKが二階にいた。Mは食事作りに当ることが多く主にN、Kが保育児の世話、相手をしていた。保母は一郎の体調が特に悪いことを知らず他の乳児と同じように一〇時頃に離乳食のスープ約八〇gを、一〇時三〇分頃に牛乳一五〇ccを与えた。その後一郎は畳の上でひるねをした。一三時頃果汁六〇ccを一五時頃サンドウイッチ七〇gを一五時四〇分頃牛乳二〇〇ccを与えた。一五時四五分頃排便があり、おむつをとりかえた。一六時頃からひるねを始めたのでMが一郎を畳の上からベッドに移した。一六時一五分か二〇分頃Mは炊事場のオルガンの所で保育日誌を書き、Nは丁度炊事場にいた。その時原告花子が一郎を迎えに来園しMに、変つたことはありませんでしたかと尋ねたのでMはどうもなかつたですよ、今ねられたところですよと答えた。花子は一郎を少しでも寝かしておいてやろうと思い、先づ便所の方においてあるおむつを取りに行つて一郎の所に来てみると一郎はうつむき加減で横を向きシーツの上に口からものを吐いていた。そこへNとMが来て驚きMがNの指示で園長や被告代表者に急を知らせたので右の二人が急いで駈けつけてきた。その前原告の花子がとつさの機転で一郎の鼻と口を吸い上げたところ一郎の顔色は赤味を帯び蘇生したようであつた。それから被告代表者が一郎を抱いて花子とともに表へ出、かけつけた救急車でU病院に至り応救手当を受けたが結局蘇生せず死亡した。その後京都府立医科大学法医学教室のO医師が解剖した結果一郎死亡の直接死因は腹臥していた際に吐いた物を吸引しそれが声門部を閉塞させて窒息死したものと断定した。同医師は又この事故発生から死亡までの時間は約五分間で死亡時刻は一六時二五分頃と推定している。この時間は原告花子や保母らが一郎の傍へ来た頃又はその直後に当る。

以上のごとく認められ<証拠判断省略>。

以上の認定事実によると被告は一郎の保育を引受けたのであるから準委任の受任者として善良な管理者の注意を以て保育の任に当るべき義務があつたことは当然であり、一郎は死亡当日迎えに来た原告花子が傍へ来る少し前の頃吐物を吸引しそれが声門部にひつかゝり窒息死したものであるから、もしこの吐瀉をした時傍に保母がおり直ちに適当な処置をとつていたらこの事故を防止し得たのに折悪しく保母のNもMも傍におらずこの処置をとることができなかつたといわねばならないが当時原告らが保母に一郎の健康状態やT病院での診療状況を具さに告げて特別扱いを頼んでいた事実がなくかつこうした集団保育の場所で保母に乳児から片時も眼を離すなというのは難きを強うるものである。一郎が物を吐いた時のしばらく前まで保母のMが一郎をひる寝のためベッドへ移す等の世話をしていたがその後しばらく他の用事で傍を離れたためMもNも一郎が物を吐いたのを発見できず適切な処置をとれなかつたとしても同人ら従つて被告にこれを予見し得た過失があるというのは相当でない。乳児の体力は弱いが満一才二ケ月ともなればたとへ物を吐いてもこれを吸引して窒息死を起すのが当然とはいえず人間の本能で体位を動かして自衛することが多いのに一郎は前記のごとく消化不良が多く死亡日の五日前には水様の下痢が四回もあり気管支炎を恵つて体力がなかつたので健康児しか預かれないという被告の方針からいえばむしろ休ますべきであつた健康状態にあつたためこうした事故が発生したものといえるからこれを以て被告の予見し得た事故でありそこに過失があるというのは相当でない。

被告特に保母のNやMは一郎がよく休園するのを知つていたのは勿論一郎が消化不良がちで一月二六日には身体に湿疹を生じ死亡前日は全身の肌がざらざらにあれていたのを知つていたのであるから、出来たらもつとよく一郎を観察し、特に食事をもつと減らした方がよかつたといえるが、原告らの方から特に連絡がなかつたので、そこまで気が廻らなかつたものでそれをしなかつたからといつて被告の方に過失があるとみるのは相当でない。又保母が一郎を放置していたとみるのも相当でない。

よつて被告に過失があるという原告らの本訴請求は爾余の判断を待つまでもなく理由がないのでこれを棄却し訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。 (菊地博)

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